積ん読の山から数年前に買った本を一冊、引っ張り出してきました。
タイトルは“SENSEMAKING”。買った時のままの帯には「動きながら考えろ」と書いてあります。
相変わらずの飛ばし読みですが、気づかされたのは、僕は「成長オタク」なのかもしれないということ。人間的には大して成長していないことを前提に聞いてほしいのですが、アムスタイルで作っているキッチンだってそうです。それは些細なことばかり。色だったり、隙間だったり、角の数ミリの手触りだったり。
少しのことだって更新していかなければ負けてしまう。誰に負けるかっていうことじゃなくてね。
今、食卓でワインを飲みながらこれを書いています。目の前で高1の次男が「こんなの解いても意味ないよなぁ」と呟きながら、数IIの三次式を解いている。
躊躇したけど父さんは云う。
「一見意味のないようなことが、人生にはいっぱいあるんだよ。会社では毎日そんなことの繰り返し。でも、解決しないと仕事にならないんだ」息子はいつもの親父の戯言だって顔をして聞いている。
で、“SENSEMAKING”の一節。
「気分とは? 人間が今までと異なる文脈に置かれたとき、その文脈に適応するための経路となるのが気分である」
それは、こういうことらしい。
人は気分が悪ければ「辛い世の中だ」と感じるけれど、気分とはそんな些細なものではない。世界に対して無分別に入り込んでいくように「我々を駆り立てるもの」なのだと。
息子が解いている数式の解も、僕が向き合っているキッチンのほんの少しの進歩も、結局はこの「駆り立てるもの」によって成される恵みのようなものなのかもしれない。
恵みは技によってもたらされるが、技は容易にはもたらされない。
この1ヵ月、超多忙。そういう時に限って積ん読を崩して本を引きずり出してしまうのです。