村上春樹と河合隼雄の対談読んでるんだけど、対談って一方が長けていると、本当に面白い。河合隼雄と小川洋子の対談読んだんだけど、読み切るほどは面白くないの。
小澤征爾と村上春樹の対談はもっといいよね。 春樹さんの言葉力とか記憶物の出し方とか、それを相手に合わせる力とか、それが全然違うんだということがわかった。
対談はテーマを持ってそれなりの人が話して、読まれることを意識しているから対談になるけれど、仕事においては毎日の会話だって対談のような理解のキャッチボールが必要なんだ。
実用的な指示だって、適当な言葉で伝えてしまうと対談にならない。「収納扉」とだけ言うと、具体的に何を指して何のためのものを指示しているのか、曖昧になる。誰もそこを気にしない。
ある人が収納扉といって、実はそれは「引き込み扉」のことだった。それは何のために選んでいるのか。空間を遠くから見て、どうしてそうしているのか。自分がわかっているつもりで、相手がわかっていないことに気づいていない。それが嫌なんだ。
仕事でも誰かがそんなふうに伝えてないか、メールや電話の中にいつもそれを探してしまう。毎日のように。
できない人はずっとできないのかなぁ。相手に対する言葉の使い方が。
平易な言葉で、誰でもわかる言葉で、相手の中に何が想像されるのか。

もうやるんだと思っていた仕事に断りがくる。
それはときに言葉の問題だったりする。
仕事的な成熟度が低い。表層的。
表現力の乏しさは僕の教育が悪いのかなあ。
さっと順序だてて話す。
手紙の書き方、相手に絶対にわかる言葉。
がんばってものをつくっても、伝わらなければ、これは高価なものを頼む相手ではないと思われてしまう。
すぐれた会話はいつの間にか対談になっていくのかもしれないね。